サイトアイコン 光山金氏霊園(光山金氏専用霊園)

ご由緒

光山金氏霊園(旧光山金氏専用霊園)ご由緒

異主義日本に居住することゆうに半世紀を超え世代の変遷は自然流れとして避け難い。先祖を敬慕し、子孫には宗親の情と氏族の矜持を継承すべく 、展望風致最良にして由緒深いこの地に霊園を設定し、粉身砕骨尽力してきた諸先輩を推尊しつつ、経緯概略をとどめ一族繁栄を祈念する 。本会事業において特筆すべき重大な関心事となったのは墓所問題でした 。先祖を敬う伝統 からしても外国人としての権威を保つ上でも墓所をどうするか重要な問題であり先進民族が外国に居住する時は必ず自らの墓地を設定するのも貴い習慣であります。このような見地から一九五七年一月の総会において墓地建設が採択され、役員たちによって候補地を探す事になりました。一九五八年に会長有鳳氏、霊園建設委員長嶋鍾氏が中心となり土地探しを始め、のちの一九五九年に奈良県生駒郡平群村に土地約二反七畝を求積測量後、墓地許可申請し、十二月十六日に内定認可を受けるに至る。一九五八年一月十八日公園墓地として正式認可されたのち、会長太沫氏 、委員長有鳳氏、親族会有志は墓地の条件を満たすために整備作業に全力を尽くし、同年前期にこれを完成することができました。

専用霊園の歩みと現況

私たち光山金氏親族会にとって、専用霊園は心のよりどころともいうべき重要な意義をもつものであり、在日同胞社会全体からみても類稀な誇りとすべきものといえる。そればかりかソウル大宗会や済州道宗親会からも称揚される、一族全体の記念的聖域となっている。けれども霊園がこんにちのように充実した整備を実現するまでには茨の道を切り開く、並々ならぬ献身的努力がつみかさねられてきたことを忘れてはならない。私たちはいま専用霊園をもつことを誇りとし、有難いと思えば思うほど、諸先輩の労苦に感謝し、その道のりを想起しつつ、さらなる努力によって一層まもり発展させていかなくてはならない。専用霊園の設置計画は、すでに1957 年から始った。当初、枚方市の王仁博土墓地周辺に共同墓地候補地として決定をみたが、地目上、不適地とされ、つづいて南生駒に候補地を選んだが、これまた民家が近いという理由で暗礁に乗りあげ、二度にわたって断念のやむなきにいたった。

幸いに生駒郡平群村に適地を探し求め、市・県当局と鋭意交渉した結果、許可を得て、念願かなうこととなった。 その後、墓地問題を前進させるために数次にわたり総会を開いたが、その当時においては十分な関心を集めるには困難な状況にあり、現地で野遊会を開くことを通して、具体的な推進に着手したのである。墓地として許可を受けるために、早期着工が緊要となったことから、工費33 万円(当時)を有鳳氏、尚振氏、宗立氏の三人が負担して、ようやくスタートすることができ、1960 年1月、公園墓地として正式認可を受けた。1968 年10 月、待望の慰霊碑を建立し、1973年9月には第一回秋夕慰霊祭を挙行した。このときから、1979 年にかけて整地作業、区画整理、石垣、水道敷設、集会所、門扉などの環境整備を精力的におこなった。また1980 年から85 年にかけては、フェンス、植樹、藤棚植栽など、さらに1986 年から88 年にかけて、休憩所、駐車場、および水洗トイレを設置し、一層の改善に心血をそそいできたのである。秋夕慰霊祭も、年毎に充実し、1986 年にはソウル大宗会からも参席を得て、一族の永い歴史と固い絆を再確認したのであった。」1988年には祭礼服(韓服)もととのえ、いちだんと古式ゆかしく、厳粛な雰囲気の中で、先祖崇敬、子孫団結の一念を新たにしている。

光山金氏霊園設置趣意書

1957年6月15日、霊園設置のため作成された趣旨書は全文次の通りである。 五千年の歴史をもつて我が国において、先祖を崇拝し親族を敬愛する志が、いずれの他国にも遅れをとらぬ美風良俗であり、民族の誇りであることは誰でもが認めるところであります。わけても、わが光山金氏は親族の情け極めて厚く、善意に満ちた固い団結が他の姓を持つ同胞の模範となり、民族の発展に寄与してきた伝統であることは改めて言うまでもありません。しかしながら※1945年※解放後10有余年を経た今日、我が国は南北に分断され骨肉相い争う悲しみをくぐりました。その原因がどうであれ民生の安定及び難しい現状にてらし在日同胞は日々の生活に苦闘しながらも故国の安定を念願しつつ帰国の機会を伺い待つ人が大多数であると思います。わが光山金氏親族もまたその例に漏れずと言わざるを得ません。今、故国の将来を展望するに、安定までには幾多の難関を避け得ず、民の苦痛はいつ止むとも知れぬ嘆声となっています。

われわれの堅忍不屈の精神をもって故万国安定の日を待ち望むとしても、人間の寿命は限りあるものとて、老若を問わず不幸にも不帰の客となれば、遺骨の埋葬と霊魂の慰安は風前の灯火の感無きを得ません。

ここにわれわれは、精神的団結と同族の愛情をもって、大阪から遠くない地に専用霊園を設置して、わが同族の子孫が大阪に居住するかぎりその墓地を守護しい故国安定を見た暁には当事者の意思にしたがって移葬できるようにすることが最良の策と考え、光山金氏親族会として、こ奈良県生駒郡平群村大字福貴を墓地最適地と選定し設置実施の運びとなりました。親族の皆さまにおかれましては異国における生活の苦しい中ではありますが、目的達成にご協力賜り、光山金氏のよき伝統精神を発揮され、祖国統一にもご助力くださることを切望し、合わせて皆様のご健闘をお折り申し上げます。

専用霊園慰霊碑 ※上記添付画像

1968年10月、光山金氏の先祖を慰霊するための碑を建立した慰霊碑の 碑石は大邱からとりよせた大理石であり、正面には「光山金氏慰霊碑と大書し、裡には、:つぎのような文章が刻まれている。

詩は達寛氏の作によるものである。

光山金氏は始祖新羅王子譚興光の後裔であり、高暉朝以後平章事歴任者8人をはじめ賢人を多数輩出した名族である。近世半世紀の間に日本に傀居した者多数あるので専用墓地を設置し慰霊碑を建立する。

移居異国  星霜己久  故人幾位  生者幾人  

望郷遺恨  千秋可想  同親相隣  同族相慰

(大意)

異国に移り住んで 年月はすでに久しい 故人となったのは幾位か 生ける者は幾人か

故郷を想い恨みをのこす いつまでも忘れえず 同じ宗親が隣り合わせ 同じ血族としてたがいに慰む

霊園沿革碑・碑文

異域日本に居住することゆうに半世紀を超え、世代の変遷は自然の流れとして避け難い。先祖を敬慕し子孫には宗親の情と民族の衿持を継承すべく、眺望風致最良にして由緒深いこの地に霊園を設定し粉身砕骨尽力してきた諸先輩を推尊しつつ、経緯概略をとどめ一族繁栄を祈念する。

1954年9月29日 在日光山金氏親族会創立 ※添付の画像

1957年1月第四回定期総会において墓地建設案を採択し、曲折ののち1959年土地購入(会長有鳳、建設委員長鳴鍾、達智)1960年1月公園墓地正式認可(会長太洙、建設委員長有鳳)1968年10月慰霊碑建設(会長満河、運営委員長宗洙)1973年9月第1回秋夕慰霊祭(会長興斗)1973年から79年にかけ整地、区画整理、石厄水道集会所、門扉等の環境整備(この間建設委員長太憲、会長晋根、太朝)1980年から85年にかけフェンス、植樹、藤棚植栽等の環境整備(会長容海)光山金氏の栄誉を守るこの霊園建設には特に有鳳、尚振、宗立をはじめ親族全体の誠意と献身があった。=先祖崇敬、子孫団結の一念は永遠に不変である。 1985年9月29日 在日光山金氏親族会 会長 容海 謹誌

1949年済州道内都親睦会(のちの1955年光金會に合同)※添付の画像

1949年済州内都里親睦会総会(大阪市生野区中川1丁目22番地)からも、1955年第一回光金會(現在の在日光山金氏親族会)定期総会に親族会員として沢山の先祖が名を連ねました。

HP管理者の祖父(ハラボジ)が写真の前列で議長を務めており、父(アボジ)は最後列の中央の右にいます。

在日光山金氏親族会 広報部

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