―光山金氏の源流と特性―
光山金氏の系譜の源流は新羅時代にまで遡ります。始祖公が誕生した年は、西暦825年前後であったものと推定され、日本では平安時代の前期にあたります。光山金氏はこの興光公を初代し、約1200年の歳月をかけて韓半島有数の血縁集団へと発展してきました。
光山(クアンサン)とは私たちの本貫を意味します。本貫とは、形式的には祖先の発祥の地を指す言葉ですが、現実には血縁共同体の総称として理解されます。ちなみに韓国で 一 番多い姓は金氏で、その総数は約l千万人にも及び、全体人口の21.6%を占めています。しかし同じ金氏で、あっても本貫の数は280ほどあります。人口別順位ではトップが金海金氏、二位が慶州金氏、そして三位を占めるのが光山金氏であり、全国に約84万人を数えます。
光山金氏は歴史的に新羅の王族にして、朝鮮時代の名門両班(貴族)として知られてきました。朝鮮王朝五百年の聞には名門家系が多く生まれ、それぞれ立派な特徴がありましたが、その中でも光山金氏は特有の地位を占めてきました。科挙及第者は267人で7位にとどまり、朝鮮王朝の王妃は 一人しか出ていません。にもかかわらず光山金氏が屈指の名門一族とされるのは丈臣の最高位である、大提学(朝鮮時代の最高官職)の輩出者が7人と最も多かったことによります。その頂点を極めた人物が礼学の歴史的大家で、あった金長生 (27世)とその子、集(28世)で、あったことは韓国内では広く知られています。
私たちの始祖である興光は、新羅時代末期に椙娠を極めた王権争いが身に危険を及ぼすことを予知し若くして当時の武晋州西一洞に身を隠しました。始祖公はそこに隠棲しながら学聞を修めたといわれます。 そしてこの地名が後に光山に変わったことで、私たちの本貫は光山と称されるようになりました。光山金氏には争いごとを好まず、学識と調和を重んじる性格の人が多いとするならば、それは始祖興光から受け継いだ、DNA(血統・血筋)に因るのかもしれません。
本国の各地域を網羅する宗親会を含め、私たち光山金氏の一族は、始祖公はじめ歴史に名を残した多くの祖先の威光に恥じぬよう、親族の和合と発展のために尽力すると共に、謙虚に徳を積みながら生きていく姿勢を大切にしたいと思います。
日本ではグローバル時代を迎えて在日同胞社会も多様化し、在日コリアンとしてアイデンティティー を維持することが簡単ではなくなってきました。 また、自分の系譜に自尊心を持ちすぎることは、平等社会であるべきこれからの時代にそぐわないのではないかいう指摘もあることでしょう。しかし、身近な親族を愛し、その繁栄のために尽くしていくことは、普遍的な人間愛と社会貢献につながる第一 歩でもあります。多様性が尊重される時代にあればこそ、在日光山金氏親族会の活動の意義がより深まることになるものと信じます。

―光山金氏の発祥の地、平章洞と始祖興光公―
光山金氏の発祥の地である当時の武珍川西一洞は、現在の全羅南道湾陽郡大田面平章里にあたります。地名が平章洞と変更された理由は、高麗朝になって子孫に平章事(長官級)が多く輩出されたという威光を反映したことによります。
平章洞は地勢と形が美しく、名峰と名水に固まれて山水の精気が淀みなく湧き立つ吉所とされます。始祖公がこの地を選び、陰徳を積んだおかげで、名門一族として繁栄し著名な人材を数多く輩出し得たと称える声も少なくありません。
この平章洞には現在まさに光山金氏の本拠地と呼ぶにふさわしく、広大な敷地に始祖公の霊を祀る祠堂や碑、ならびに歴史館や休憩所など多様な施設が擁されています。そして、この平章洞の運営管理を担う本部にあたるのが大宗中であり、毎年秋には始祖公の大祭を催します。大祭には年間最大の行事として全国各地から多くの一族がパスを連ねて参加し、祭服を纏った祭官たちが伝統形式に則って祭祀を厳かにに司る姿を見守ります。
在日光山金氏親族会が専用霊園で挙行する秋タ合同慰霊祭もこの平章洞での始祖公の大祭とほぼ同様の形式で行われます。なお、大宗中にならぶ本部組織としてソウルの麻浦区に全国の宗親会を統括する大宗会があります。両組織は協力しながら、光山金氏の親睦と発展のために積極的な活動を行っています。
―祖先からのルーツを後世に伝えるー
光山金氏霊園は韓国における伝統的な葬墓文化を継承する形で創設されました。韓国では儒教精神に沿って父方の系譜による集団墓地、すなわち宗中墓地(同族墓)が各地に形成されてきました。今でも地方に行くと、このような同族同士の共同墓がよく見受けられます。光山金氏専用霊園も同族同士の集団公園墓地として誕生しました。その趣旨と経緯からも、ここに眠る先人達の墓碑には、始祖公からの系譜や来歴族構成などが刻まれるのが通例となっています。韓国に今も多く残るサンソ(山所)と呼ばれる土鰻頭のような墳墓の前には、埋葬者の来歴を記す墓誌が置かれますが、この形式に倣ったものと言えます。墓碑の左面には被納骨者の系譜と来歴および、功績などを漢文で刻み、右面や後面に配偶者の来歴並びに子孫の名を記すのが大半です。ただし、これは霊園の定めに基づくものではなく入墓者の意思によるものです。墓碑と墓誌に刻む内容はすべて入墓者の意向を尊重することを原則としています。
高陽 西五陵[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](仁敬王后 翼陵)
※画像は韓国観光公社から抜粋いさせていただいております。
ー光山金氏霊園の理念と運営の特長ー
一般社団法人在日光山金氏親族会が運営する光山金氏霊園は、宗教宗派、思想信条を問わない同族墓地として基本的な特長が三つあります。
1.入墓者は平等に遇し、墓の大きさも同じとする
同族同士の霊園として、入墓者を区別することなく平等に扱うことを基本原則としています。そのために、墓地の一区画の面積は同一とし、墓石の大きさについても霊園全体の調和を乱さないよう、一定の基準を設けています。入墓に際し、墓石に始祖公からの系譜を刻むことを希望される場合は親族会がアドバイスさせていただきます。
2.合同慰霊祭の実施
年に一回、旧盆前の日曜日に本親族会主催の秋タ合同慰霊祭を催し、ここに眠られる方々の霊を伝統様式に則って慰霊します。合同慰霊祭は親族会最大の年間行事として、多くの親族が集い、それぞれの墓参を行うと共に、一族全体の慰霊祭を執り行うことで同族間の親睦とアイデンティティー 強化を図る貴重な機会となっています。
3.定期的共同清掃はじめ行き届いた霊園管理
専用霊園の維持管理は親族会が責任をもって担います。 定期的に共同清掃を行うと共に、霊園の一層の充実化を図るための整備計画を推進しています。子々孫々にわたって美しい霊園を維持することは親族会の揺らぐことのない課題です。霊園維持費も低額設定になっています。
ー開かれた霊園としての充実化を図るー
創園後60年近い歴史を経た光山金氏霊園は、これからの時代に相応しく聞かれた霊園運営を心がけていく方針です。在日同胞社会は望郷の念の強かった渡日一世中心の時代から日本で生まれ育ち、日本に生活基盤を置く三、四世が中心となる時代へと移り変わりました。また、日本国籍取得者が増える傾向にある中で、在日間胞としてのアイデンティティーを維持する上で国籍の持つ意味はかなり薄らいできました。同じく、父方の系譜を尊重してきた霊園の在り方も、家族構成が多様化する現状に照らして、今後弾力化に向かうべきであるものと思われます。
このような時代の変化を受け、私たち在日光山金氏親族会は、光山金氏霊園の入墓条件の緩和を図りました。今後は国籍ならびに男女のいずれかを問わず、光山金氏に由来のある家系に属している方であれば、誰でも入墓いただけます。まさしく聞かれた時代の開かれた霊園運営を心がけ、当霊園を設圏するために献身的に励んでくださった先人達の尊い志をしっかり受け継いでいきたいと思います。
川の流れに源流があるように、私たち一 人ひとりの存在にも確かな源流があります。光山金氏としてのルー ツにあることに誇りを持ちながら、ぜひとも光山金氏霊園に加入いただき共に協力して親族の霊園維持に努めて下さるよう期待いたします。
在日光山金氏親族会
