金容海先生は光山金氏専用霊園に最後までご尽力を注がれ在日光山金氏親族会の誇りでした。
知っておきたい「祭祀」の著者 1990.05.01出版
鳳@bongのpage から引用させて頂きました! 金容海先生指導による祭祀実演 ←クリック
金容海さんが最後のあいさつ 北鶴橋小民族学級 2006.05.24 民団新聞から引用
大阪市立北鶴橋小学校で35年間、民族講師を務め、民団中央本部民族教育委員長などを歴任してきた金容海さんが18日、同校民族学級入級式に出席し、お祝いのあいさつをした。金さんはこれを最後に民族教育推進活動の第一線から退く。
容海さんは「北鶴橋小は学校全体で民族教育に努力しておられる。民族学級で歴史や文化を学び、韓国人であることに誇りを持ってください」と児童にはなむけの言葉を贈った。
金さんが入級式であいさつするのは学校側の特別な配慮で、急きょ決まったものでした。

花束を持つ金容海さん(左)
本名呼び名のれる社会に 民族教育にささげた半生…金容海さん
【大阪】誰もがあたりまえに本名を呼び名のれる地域社会の実現に向けて半世紀の間、実践と運動を積み重ねてきた金容海さん(80)がこのほど、民族教育の一線から退いた。この間、民族講師の制度保障が一定程度進み、民族学級開設校は大阪市内で100校を超えた。金さんの残した大きな足跡を振り返った。
金さんは大阪市立北鶴橋小学校で51年から36年間、民族学級の講師を務めた。在職中、力を注いだのは「本名を名のる教育」だった。一部在日同胞の保護者からは反発も受けたが、家庭訪問を繰り返し、説得に努めた。
金相文さん=東桃谷小学校教諭=は小学校時代の民族学級で出会った。「金容海ソンセンニムは人生の迷い道で必ず登場する恩師」という。同じく北中道小学校で民族講師を務める金徳美さんも「わが師」と慕う一人だ。北中道小民族学級50周年記念行事には金容海さんも御幸森の自宅から自転車で駆けつけ、徳美さんと一緒に喜びを分かち合った。
74年に出版した「本名は民族の誇り」は、大きな反響を呼び起こした。同胞保護者連絡会の会長でもある高用哲さんも金さんの著書を呼んで感銘を受け、本名を名乗り始めた。
87年に退職すると「民族教育に対する使命感」から民団大阪府本部文教部に勤務し、教育委員会との行政交渉に道を開いた。民団大阪が日本の学校に通う子どもたちの民族教育に腰を据えて取り組むようになったのはこれが初めてとされる。
民団大阪府本部の現文教部長、鄭炳采さんはこれこそ「ソンセンニムの一番の功績」と称える。というのも、教育委員会側も民団との行政交渉を通じ日本の学校に通う子どもたちの民族教育の必要性を認識するようになったからだ。
大阪市は93年、民族講師招聘事業を制度化し、ボランティア民族講師に一定の報酬を支払うようになった。大阪府も94年から府費民族講師をそれまでの非常勤講師から常勤講師に格上げした。98年には大阪府教委が「指導指針」を改訂して「本名原則」を明記したことも大きな成果だった。金さんは「これは民団という組織があったからこそ実現したもの。お互いに信頼関係があったから一つ一つ前進してきた」と振り返っている。
大阪市外教のある関係者は「いまなお日本社会では本名があたりまえに呼び名のれる状況になっているとは言いがたい。私たちは金容海先生の民族教育の熱い思いを受け止め、先生の好きなタンポポの花が各地に根を張り花を咲かせるように『本名を呼び名のる』教育を一層進めていく」と誓っていた。
著作権は朝日新聞にあります。(霊園は朝日新聞社記事を引用しています)
生野区で16日 自著「本名は民族の誇り」を手にする金容海さん
「金(キム)ソンセンニム(先生)」。朝鮮半島にルーツを持つ大勢の子どもから慕われた元民族講師の金容海(キムヨンヘ)さん=大阪市生野区=が3月、90歳で亡くなった。公立学校で民族の言葉や文化を教える民族学級の普及に尽くし、本名(民族名)に誇りを持とうと呼びかけた。
(略)
その一方で、府知事との交渉で公立学校での「朝鮮人独自の教育」が認められ、府内三十余の小中学校に民族学級が設置された。金さんは51年、大阪市立北鶴橋小学校(生野区)の民族講師になり、36年間教壇に立った。退職後は在日本大韓民国民団府地方本部(民団大阪)の文教部長として行政側と交渉し、民族講師の待遇改善に努めた。
金さんは子どもや保護者らに「本名」を名乗る大切さを訴え続けた。小学校の運動会で朝鮮人の母親が弁当を持って来ると必死に逃げ隠れた子ども、市電の車両に母親を残し、別人のふりをして先に降りてしまった子ども――。進学や就職などで差別が厳しかった時代に、「朝鮮人に生んだ母親を子どもが恨んでいる」のを目の当たりにしたのが原点だったという。
「子どもたちが将来への希望と誇りを持てるように」。金さんが普及に尽力した民族学級は、府内185の公立小中学校に広がった(2015年度、民団大阪まとめ)。
「誰もがどんな場でも『自分を出せる』社会に、マイノリティーが尊重される社会にしたい、というのが金先生の教え。



